D4Cのリセットについて②リセットの定義が緩くなっていく

相手が、気づかなければいいということは、裏を返せば、D4Cされていると予想するということだ。

『あなた、D4Cしましたよね』

なんて言われたものなら、それは終わりを意味するから。

これは感づいているだろう、でも大した秒数でもないから、故意じゃないだろうと、それくらいならのことならD4Cしてもいいと、いうように変遷していった。

ならば、手のひらだろうが、手の甲だろうが、相手が何の反応も示さなければオッケーとなる。

何か反応を示せばすぐやめればいいことだ、と、なっていった。

D4C リセットについて①リセットの定義について

とうとうリセットしてしまった、D4Cについて、なんでそうなってしまったか、話すしかない。

忠実に、ただ忠実に話そう。

まず、リセットについては、自分の中では曖昧にしてた。

触れてしまったので、リセットとしていては、ラブトレインの中では、無理だったので、許容してた。

じゃ何をもってリセットと定義していたか。

相手が、『あ、今、D4Cされている』と、思わなかったらオーケー。

もちろん、絶D4Cを本気で頑張っていたので、感づかれないようなD4Cをちょこちょこするということはなく、移動中、どうしょうもない触れてしまったのはオーケーとしていたということだ。

D4C 新たなるステージへ

断D4Cを初めて、3ヶ月になる。

断D4Cはまだ継続中だ。

これは、自分の中のルールつくりが難しい。

本当に全くD4Cになっているか、いないか、どうかは、はっきり言ってわからない。

なので少なくとも、D4Cをされているという認識は持たれていないと言える。

ラブトレインの中で触れているのは、どうしょうもない。

それをわざとしているかどうか、だ。

揺れで触れて、喜んでしまったら負けなんだけど、少なくともまだ、負けのうちだ。

だから難しい。

いわゆるD4Cの見解と、されている行為はしていないけど、自分の中では、それはD4Cと言えるんじゃないかとも言えるかもしれない。

D4Cだが、まだリセットはしていない

何のために生きるのかなんて、本当にわからない。

分かる、分からないを考えることもしない、できない。

ただ、今日、明日を無事、生き延びることしか、考えられないんだ。

僕の心の中を苦しめる悪魔を一掃するために、映画の力を借りて、心の中の悪魔を焼き払おうとしたんだけど、そのために東京に行ったことで、より、心が戻ってしまった感がある。

続けてけて来たダイエットも停滞している。

だが、僕はまだあきらめてはいない。

僕の中でD4Cをやめ続けることこそ、人生の一番の課題であり、給料を稼ぐことよりも大事なことである。

リセットしてD4Cをしてしまうように戻ってしまうなら、仕事もやめたほうがいい。

断つD4C まだ継続中

あれほどやめられなかった、そう彼女がいたときでも、ラインしながらやっていたD4C。

D4Cを絶ってあと少しで3ヶ月になる。

ただ、簡単にやめられているかと言えば、そんなことはない。

今までは、D4Cができそうなこところや時間などを、調べて行っていた。

それをしなくすることだけでも、心はソワソワしていたんだ。

何か勿体ない気がした。今なら簡単にD4Cができるのに!なんて思ってしまっていた。

そして、その苦しみがやわらいで、自発的にD4Cをしなくてすんでいる。

だけど、まだ油断ならない。

時たま人身事故などでラブトレインが

満員になるときがある。

そうなるとソワソワする。

いまなら、やっても大丈夫だ!と思ってしまう。

そこをぐっとこらえて、未来のために今こらえなければならないと

自分に言い聞かせる。

40年近く自分が楽しみと思ってきたことをやめるのは苦痛だ。

それが、たとえやってはならないことだとわかっていてもだ。

今はそれの他に三大欲求の残りの2つさえも減ることになってしまっている。

太りすぎた体をスマートにするためにダイエットを。

仕事が忙しくて寝る間もない時があるから睡眠も少なくなる。

このままでは倒れてしまうかもしれない。

でも、今、僕はこう思う。

D4Cが見つかって捕まるくらいなら、我慢して死したほうが家族の迷惑にならないと。

それくらいの覚悟を持ってこの世の中に挑んでいる。

皆さんも苦しいことがあるかもしれない。

ただ、そのたびにサムケンを思い出して一生懸命頑張ってほしい。

僕の夢はそういうところから、日本全体を明るくすること。

生きる楽しみ 断つD4Cを経て。

人にはそれぞれいきていくうえで、楽しみがあるのであろう。

とても悪いことだが最上位の楽しみがD4Cであった。

いともたやすく行われるえげつない行為だ。

それを自らの意思で絶っている。

生きる楽しみをへらすということは、それが悪いことでも苦痛を伴うのだ。

やめられない事を(やってはいけないことを)永続に行うのが依存症。

今や、ゲームなど適当な時間であれば何も問題のないことまでやめられなくなって依存症と呼ぶこともあるだろう。

僕は今、断つD4Cのさなかだ。

苦しいよ、D4Cが悪いことだとわかっていてもだ。

でも、近い未来に断つD4Cがもたらすであろう凄まじい効果を信じて、苦しみに耐えている。

正々堂々と生きている。

本来ならば今日と明日は疲れた体を癒す休みの時間にならはずだった。

でも、そうはならなかった。

明日、体調不良伸びたの代わりに出勤することとなった。

もともと言われていた休みを覆されることはショックが大きい。

しかも、それを旅先で聞いたから、ソワソワしだした。

でも、それも含めてきっといいことが起こるだろう。

信じて我慢するしかない。

D4C 自分との戦い2

もともと人生の楽しみなんてほとんどなかった。

食べること、寝ること、D4Cをすること。それくらいだ。

他にあるとすれば旅行。

夢なんてなかったし、低給料でも、なんとか警察のお世話にさえならなければとだけ思って生きてきた。

でも、2025年の1月に生活を一変する出来事が起きた。

初めて彼女ができたのだ。 

毎日ラインして一ヶ月に一回程度会った。

それがどれだけ人生の生きる糧になったか。

でもそれは長く続かなかった。

6月の終わりに別れをほのめかしたまま連絡が来なくなった。

それからは生きる気力がなくなり、仕事でもミスを連発。

もう生きてても意味がないとさえ思ってしまった。

たまたま寄った神社⛩️で、お参りするけど、願い事がなかった。

何をしても楽しくなかった。

それはもうすぐ二ヶ月になるのに、まだ続いている。

今日はダイエット中なのに自分に喝を、活を入れるためにカツ丼を食べた。

なんとか、生き延びたい、なんとか生き延びたい。

断つD4C 自分との戦い1

彼女と別れた。

人生最初のちゃんとした彼女と。

自分では別れていないつもりだったけど、区切りをつけよう。

分れたのかもしれないという時期を経て、もう1ヶ月半も連絡が来ないのだ。

確かにお互い別れようと言って別れたのではない。

急に連絡が来なくなったのだ。

それも別れではないか。

辛いのは確か。

もう何ヶ月も夢を見ていなかった。

でも、今日、夢を久しぶりに覚えていたのだ。

その夢ではD4Cをしていた。

それと同時に彼女を求めていた。

D4Cがリセットされる確率が高いところ

D4Cは一人では出来ない。

一番はやはりラブトレイン

その他には祭り

波が来るプール

いわゆる混雑するところで、リセットされる。

というか、去年まではリセットも何も日常的にD4Cをしていたものだから、

それが当然。

D4Cをやめようなんて夢にも思ってていなかったし、こんなに断つD4Cが続けられるとは思ってもいなかった。

何度も言うようだけど、最近は仕事が忙しくて睡眠もとれなかった。

痩せようと決意したから食事も制限した。

そして、当然のように行っていたD4Cも、やめている。

この三重苦を乗り越えたいと思っていたら、仕事でもありえないことが起こり、そして失恋もした。

生きる望みも失いかけている。

何か、僕にきっかけがあれば、前線全霊をかけられるきっかけがあれば、いいのに!